創建の年代については詳らかでありませんが、この地先住の古代水田農耕民族は、その水田耕作に不可欠の水源に、また人間の生存の礎となる衣食住の源としての「水源(みなもと)」に、清らかに神奈備を覚出しました。
「宇迦之御霊」と仰ぐ稲魂・穀霊を祀り、「保食神」、「生産の神」として信仰し、現・白笹稲荷神社の前身としての白篠稲荷の小祠を祭祀してきました。
秦野は古代大和豪族・秦氏にゆかりの地であるといい、『風土記』によれば、稲荷信仰を広めたのも秦氏で、秦公(はたのきみ)が山城国に「伊奈利(伊奈里)」を」祭祀したことに始まるといわれています。
天保12年(1841)に成立した『新編相模風土記』には、「稲荷社 白笹稲荷と号す。祭神蒼稲魂命。例祭二月初午の日。及六月二十八日なり。拝殿あり。老松 園一丈。一株を神木となす。末社 明王権現 子安明神」と記されています。
江戸時代初頭の頃の奉納物が残存しており、すでに民衆の信仰の篤かったことがうかがわれ、江戸時代中期には正一位の神璽を再祀し、屋敷神として早くも独立し、神社独自の定例の社頭訓話などのあったことも知られています。時代が下っては献詠歌などが定期的におこなわれ、文芸活動なども活発だったことがしのばれ、崇敬者の信仰により支えられて現代に及んでいます。
古代より、わが国は「豊葦原の瑞穂の国」といわれ、農業や稲作の国でありました。
お稲荷さんは元々稲作・穀物の神様であり、農作物の生育に必要なのが水源です。
鎮座地「秦野市今泉字芹沢小字一貫田」は、日量7千トンの豊かな水に恵まれた地です。
神社の境内に自然の湧き水があることからも、鎮座地に相応しい清々しい地であるということがわかります。
「お稲荷さん」として親しまれている稲荷大神の御神名は「宇迦御魂命」と称し、稲作・農業の神様です。
食物をつかさどる神様ということから、食べるもの、着るもの、住む家をはじめ、人間生活全般をお守りくださいます。
家内安全・商売繁盛・火盗消除・厄除・交通安全など、さまざまな御利益があります。
お稲荷さんといえば、「キツネ」をイメージされる方が多いようですが、キツネは神様のお使いであって、神様ではありません。
古くから、春になると「山の神」が里に降り、「田の神」となって稲の生育を守り、収穫を終えた秋になると山に帰って「山の神」となる信仰があります。
キツネも、「山の神」「田の神」と同じ時期に姿を見せることから、「田の神・稲作の神」の「神使」と考えられるようになりました。
日本の歌舞伎絵の第一人者である後藤芳世画伯(院展特待)が、七年の歳月をかけて描き上げた天井絵です。
格天井150枚の龍神様、風水四神や宝尽くしの図は神々しい赤誠の作です。
草木の精霊を祀るお末社は、近年ではパワースポットとして独自の信仰を集めています。
「南はだの村七福神めぐり」の『寿老人』が祀られています。
長寿・財宝・名誉・病気平癒を授け、人々の安泰と健康を守護する神様です。
ヒカリモは光を受けて黄金に輝く希少な藻で、一定期間発生します。
金運の御利益がありますのでどうぞご覧ください。